10月24-27日、北海道厚真町にて調査に行いました。
On Oct 24-27th, we conducted a survey at Hokkaido Atsuma area.
以下の、詳細のような日記は、お時間のある方のみお読みください。
前日章
それは突然、決まった。夜が長くなってきたことを感じる暇もなく突入した10月。
カナダ旅行に表面波に共同研究にと、まるで師走かのような初旬が過ぎようとする頃、
突然、一人の学生が北海道に出張に行きたいと言い始めた。
数々の伝説を引き起こしたあの堀之内の、原位置調査を引き継いだ男、M1の佐藤彬だった。
彼の要求する調査期間は10/24-27の4日間、猶予は2週間程度だった。
彼は前回の長野-御嶽山での調査で、持ってくるべきネジを忘れ、それが売っているであろうホームセンターまでの往復100kmもある道のりを、あろうことか桑野先生、、、教授に行かせるという研究室史上稀にみる蛮行を働いた大罪人だ。
加えて、前回の北海道調査では、原位置計測器に必須なSDカードをロストし、ビデオカメラのSDカードを急遽転用することで事なきを得た。
その時の、ポケットやポーチを隅々まで漁る姿はまるで、ひみつ道具が見つからないときのドラえもんのようだった。
今回こそは準備を万全に、、、というのはどうやら彼も思っているようで
自分がどんなに脅しに脅しても「すべて想定しています」と、まるで某ドラマの「私失敗しないので」を多用する先輩、M2の平能を真似ているかのような自信満々の口ぶりで、準備万端であることを謳っている。
あの堀之内も「まぁまぁまぁ」と言いながらも準備は万端だと宣っていたが、その結末はドラえもんのひみつ道具「まあまあ棒」並みに惨憺たるものであったのは言うまでもない。
北海道調査の荷物は、その多くが手荷物で運べない為、5日前には発送する必要がある。
調査が10/24-27、であれば発送は19日午前。この時点で猶予が1週間ほどしか無かった。
M1開始時点から、まるでM1の1年で研究を終わらせんとする速度で実験をしている彼が誇らしげに言った、
「今回こそは大丈夫です」
の言葉を信じよう。
そして時は流れ10月17日、発送直前にして彼は言った。
「すいません、このせん断箱、明日までにメッキしてもらえますか?」
ぞうきん3枚感覚で、メッキ処理を依頼するんじゃない。
これが、始業式前日の母の気持ち、なんだろう。
今度実家に帰るときは、親孝行をしようと思った。
10月24日火曜日
この日はただの移動日だったので、15時前に研究室を出て羽田に向かった。
空港で全員と合流し、何事もなく保安検査場を抜ける。てっきり彬の荷物が引っ掛かると思ったが。
かなり以前、北海道から帰る際は、密度缶などでギリギリまで足止めを食らった上、空港の職員に説明しても理解してもらえないもんだから、かなり大変だったようだ。
そりゃ空港の職員が地盤・地質に詳しいほうが不思議である。
空港のお高そうなラウンジに入るスーツの決まったサラリーマンを見ながら、B4真下が(笑いながら)言った
「久野さんはラウンジ使わないんですが?」
「僕みたいな男は、スカイマークやAIRDOしか選択肢がないんだぁ。いやぁ乗ってみたいもんだねぇ?JAL/ANAなんてもんにさぁ」
「いやいやぁ、普段から乗ってるんじゃないですか?」
我々が普段Alibabaからメンブレンを買っている時点で察してほしいものである。
フライトは順調で、まったく問題はなかった。レンタカーを借りて、宿まで移動する。
北大の先生がつい先日、車で鹿を轢いて廃車からの、保険で新車購入という、鹿を対価とした錬金術を行ってしまったようだが、我々にその機会は訪れなかった。
というかレンタカーなので轢いたところで調査が遅れるだけだ。
宿には露天風呂やサウナがあり、さすが11月手前の北海道、水風呂は氷水のようだった。
みんなで風呂に入りながら誰かが言った、
「いやー満足感ありますね」
「明日(水曜)でうまく言ったら試験殆ど終わっちゃうなぁ」
「木曜から遊べちゃったりしますかね?」
理想というより夢に近い与太話をしながら、初日が終わろうとしていた。
宿の部屋はムービングハウスという、フレハブベースの災害対応型住宅のようで、4人部屋とあったが、内装はこれでもかというほど木材が贅沢に使われた、木々の香りが素晴らしいお部屋だった。
しかし問題が発生した。平置きのいわゆる普通のベッドが2個、2段ベッドが1個なのである。
驚いたことに、平置きはウレタン製の沈むマットレス。
2段ベットはヒノキの香る木製マットレス、叩くとゴンといい音がした。拳が痛い。
宿を取ったのは自分だ「下調べが十分だった」といえば嘘になる。じゃんけんで決めよう。
真下が負けた。可哀想に。
彬が勝った。ウレタンを取られた。
土方に負けた。ウレタンを取られた。
少し駄弁ったあと床についた。横になると木の香りがした。
10月25日水曜日
天気は快晴。
キッチン周りの設備が分からなかったので、しっかりとした朝食、というわけには行かなかった。
飲み物でパンを胃に流し込んで幌里エリアの調査に向かう。
Ta-dだったかEn-aだったかはもはや分からないが、調査地点は覚えてる。
適当にカーナビにピンを打って向かう。大体合ってた。
坂道を荷物を持って登りたくないので、軽バンの若干の車高の高さを信じ、バックで坂道を登る。
彬が「ジブリのシーンみたい」「任せとけ、この車は四駆だぞ」などと言い出したが、この車はFFの二輪駆動だ。
どこかに片輪ハマったらおしまいだが、お構いなしに進む。
調査地点付近まで甲高いエンジン音をさせて登った車から荷物を運び、原位置せん断用のステージを出す。
1箇所目のステージで準備をしていた彬が変なことを言い出した。
「上載圧計測用のロードセルが壊れたので、真下の体重は計れなくなったけど、
まあ、上載圧は変わらないので良いでしょう。」
確かにその通りなので、ムービング上載圧なのに手術助手のように工具を渡す多機能真下を横目に、熊が出ないかしきりに心配している土方と共に、シャベルを持って土地を開墾する。
そのうち1箇所目のせん断が始まった。首を傾げながらジャッキを回す彬。どうやら結果が芳しくないらしい。
時間は11時、昼にでもPythonでデータプロットすれば少しはなにか分かるだろう。
と思っていたのだが、試験が終わった試験機を見ていて、気がついてしまった。
「なんかこのロードセルおかしくない?」
手に持って眺めていると、真下も(笑いながら)異変に気がついた様子だった。
「あっ、、、」
ロードセルのひずみゲージを覆う白いシリコンが剥がれ、、、むしろ捩じ切られている。
後から判明したが、どうやら使うべきネジより長いネジを使用した結果、シリコン部分まで到達し、ひずみゲージをズタズタに破壊していたらしい。
そこからの行動は早かった。
北大のホームページの履歴から、西村先生の研究室に駆け込んでもロードセルがある可能性はゼロに近いと推測。
ホームセンターに移動し、テスターを購入。4ゲージのうち1ゲージの完全断線を確認。
簡単に手に入る抵抗値でないため、新品の100kgロードセルの入手しか選択肢はなかった。
入手経路はAmazonで2~3日、あとは東京の秋月電子、もしくは研究室だった。
吉林さんに緊急でLINE通話をし、慣れぬビデオ通話に戸惑う吉林さんを最短のコマンドで遠隔操作する。
奇跡的に2個、新品ストックがあることがわかった。この時点で、すでに時計は1時になろうかと言う頃。
ムービングハウスに戻り40秒で支度する。手荷物は財布と、試験機ロガーとロードセルの入ったポーチのみ。
次のスカイマークの飛行機は2時40分、RTAが始まろうとしていた。
(RTA: マリオなどのゲームで最短プレイ時間でゲームクリアを目指す遊び方)
- 1400 CTS
SKYMARKで座席確保 - 1440-1625 CTS-HND
羽田着、機内モード解除とともにTAXIをGOする - 1628-1700 HND-生研
タクシーの中で「明日着でも良いか?」と彬に打診。却下される。
運転手が左折をミスる。5分ロス。 - 1700-1800 生研
ロードセル修理。半田ごて昇温待ち、5分ロス。
事の顛末を話すと平能が物騒なことを呟いていた。
半田ごてOFFと共にTAXIをGOする - 1805-1836 生研-HND
道路が混み始める。5分ロス。 - 1850 HND第2TR
走り回る。AIRDO/SKYMARK/ANA締切or座席無、乗れず。 - 1910 HND第1TR
JALで席確保。まさかJALに乗れるとは思わず、誰かの言葉を思い出す。 - 1945-2120 HND-CTS
千歳でタクシーが捕まるか不安になってくる。
乗ってる客層が静かで穏やか過ぎて驚く。 - 2135-2220 CTS-宿
なかなかタクシーが来ない。15分ロス。
移動途中でランチ・ディナーを購入。
これ以上のタイムは期待出来ないであろう最短記録で、ムービングハウスの呼び鈴を鳴らす。
ねぎらいの言葉を受け取り印に速達便を届けると、運送代としてか冷蔵庫に冷えたビールが1本入っていた。
後から聞いたが、つまり自分の帰りを待たずに飲んだ、ということらしい。誰が発端だろうな。
サウナこそ22時までで入れなかったが、風呂には23時まで入れるのが幸いだった。
風呂上がりのビールが、いつもより苦く感じた。
そしてベッドは変わらず木の香りだった。
10月26日木曜日
7時起床。ごきげんな朝食からスタートできた。包丁も箸もないものの、彬隊長がサクサクと朝食を作る。
どうやって箸がないのにスクランブルエッグにしたのだろう。疑問を後にして車に飛び乗る。
今日は午前と午後で別の現場に回るらしい。
しかし、聞くところによると、午後の現場は工事が進んで入れない可能性もあるだとか。
そうなった際には「なぜ私は急いでここに戻ってきたのか」という疑問が生まれてしまう。
どうしてやろうかとは思ったが、ひとまず昨日と同じ現場で原位置せん断試験を行う。
同じように一応ナビをセットし、同じように二駆で上り、同じようにステージを出し、同じように試験機をセットし、、、
同じようにロードセルを破壊しかけた。
緊急停止装置 真下が「あっ」と(笑いながら)言っていなければ、そこで終わっていた。
今回の被害は保護層の白いシリコンだけで済んでいた。幸いにも荷重は正しく表示された。
あとコンマ数秒遅れていたら、またしても破壊していた。
実は、予備としてもう一個の新品のロードセルも持ってきたが、まさか登板の可能性が出てくるなんて、彼は露程も思っていないことだろう。
1回表から2人の投手が破壊され、3人目が登板するなんて有ってはならないことだ。
結果として、午前の試験はほぼうまく行ったように見えた。
しかしジャッキが動き、浮き上がる問題によって、繰り返しせん断が綺麗に出来ていないようだった。
ひとまず最低限データは取れたということで。荷物を車に積んで、恐る恐る二輪駆動で脱出する。
なんだか数週間ぶりに落ち着いて食べたかのような昼食だった。ジンギスカン。ようやく北海道らしい。
彬隊長が後輩だか同期だかの肉を掠め取ろうとしていた。ツーアウトでも落ち込んでいなさそうである。
前任者の堀之内もある意味で強靭なメンタルを持っていたが、就活の結果、エリート枠で採用されたらしい。
きっとこの男も、そういう風になるのだろうか。
できることなら、火の粉の降りかかぬ外野席でその行く末を傍観したいものである。
午後はというと、、、特にハプニングはなかった。
現場には入れたし、自分がジャッキ固定具になったのも功を奏してか、試験は成功したようだった。
強いて言うとすれば撤退間際に「認識のズレ」が有ったことだった。
真下・土方は「木曜で試験全部終わり」、彬隊長は「金曜の午前で終わり」で試験日程を考えていたが、そのスケジュールが周知されていなかったのが原因だろう。
きっと真下は金曜日、どこかのパークで一日遊びたかったのだ。
撤退間際の「じゃあ密度缶3本取ってくれる?」に対しての
「えっ今からですか?!」
には、驚愕と絶望の感情が見て取れた。彼もまた、始業式直前の母なのだ。
夕食後、露天風呂で呆然としながら空を眺めていたら流れ星を2つも拝むことが出来た。
北海道の空、特に厚真の空は闇夜が黒い。星がよく見えるとはいえ短時間にいくつも見れるとは運が良い。
風呂を上がってから
「もうロードセルが壊れないように願ったよ」
と言ったら、
「目がくらんで星が見えたんじゃないですか」
と(笑いながら)言われた。
私はこの子の育て方を間違えたのかもしれない。帰ってからM2の二口さんとも話して、そう確信した。
この日は土方がなかなか電話に拘束されたようで、ハウスの外の闇夜で1時間以上話し込んでいた。
考えてみれば、自分はこの日、彼を待たずして酒を飲み始めてしまったのではないだろうか。
、、、戻ってきた土方を加えた4人で麻雀をした。最後に逆転勝利で首位を奪還した。
酒も入ってふわふわとした、心地よい満足感で床についた。
それでもマットレスは木のように硬かった。というか木だった。
10月27日金曜日
多少余裕が出てきた朝。朝食作りたい欲求が堪えられなくなったので朝食を作る。
明らかにひと玉が大きいレタスを買ってしまった。
サンドイッチには過剰な量なので芯や大き過ぎる葉を頬張りながら調理する。ウサギになった気分だ。
ベーコンをカリカリにしたかったが箸がないのでやめ、フライパンでパンを焼いてみたが2割ほど焦げた。
土方が「いや、冷蔵庫のベーコンは使い切りました」と言ってたが、そんなことはなかったので、今日の朝食は買いすぎたベーコンによる倍ベーコンサンドウィッチだ。
退去時に気がついたが、部屋内のゴミ袋の数が結構恐ろしい。我々は毎夜、どれだけ酒を飲んだのだろうか。
空き缶の多さにため息をつきつつ、荷物を積み込もうと思ったが、軽バンに調査道具とスーツケースは乗り切らなかったので、必ず風呂に入りに戻ってくると言付け、スーツケースを宿に託す。
今日の工程は「桜丘での撹乱試料採取」と「幌里での原位置せん断2個」だそうで。
「10時までに終わる」との、隊長の見立てである。
直後「それ実現性あるの?」などと詰められていた気もする。
8時出発のはずが時計は既に8時15分過ぎだと主張している。
昼間だというのにめまいがして、流れ星が見えるのもそう遠くないかもしれない。
撹乱試料採取はものの数分で終わった。
「だから昨日やっておけばよかったのよ」みたいなことを、どこかの母がつぶやく。
「いやいや、どうせ今日やるから昨日無理してやらなくても良いかな」と息子。
「じゃあなんで密度缶は昨日~」と母の追撃。
静観を貫いていた土方をして。
「これ昨日できたよなぁ、、、」と呟く始末。
滞在時間15分以下で桜丘の調査を終えた我々は、まだまだ寝ぼけたまま幌里に向かった。
3度目の二輪駆動チャレンジ。もはや慣れたものだ。
同じように二駆で上り、同じようにステージを出し、同じように試験機をセットし、
今度こそはロードセルは壊さなかった。
しかし天気がぐらつき、雲が太陽を隠し始めた。
ムービング上載圧 真下とジャッキ固定具 久野の体が、シバリングを始めた。
考えてみればこの四日間、北海道は暖かすぎた。雪虫が異常発生するほどの、暖の一週間。
忘れていた「試される大地」のフレーズが頭をよぎる。
「これが最後の一往復」
という隊長の言葉を、この日何度目かに聞いた時、既に我々2人の足は結構限界に近づいていた。
「上載圧にも意思があるんです、降りても良いんですよ?」
という脅しは、ウルトラマンのカラータイマーのようなもので、きっと臨界点、その予告をしていたのではないかと思う。
「これで、試験終了。降りていいよ」
10時半になろうとしていた。
開放された我々はさっさと荷物をまとめ、スマホを忘れて現場写真を取れない隊長の代わりに現場写真を撮り、現場を後にする。
郵便局で荷物を発送し、宿にスーツケースを取りに戻って風呂に入り、そのまま宿で昼食を食べる。
存外に美味しく舌鼓を打ちながら、ふと窓の外を眺めるとポツポツと雨が振り始めていた。
桑野研は古関先生の呪縛(?)から解き放たれて以降晴続きと聞くが、今回もまた天候に救われた。
昼食が終わって13時過ぎ、残タスクはスプレー缶など別送の荷物を発送するだけ、もう自由だった。
ホースパーク年パス購入によって割引券機能が付与されたムービング上載圧 真下、
アーチェリーで極小風船を射止めた令和の那須与一 土方、
そしてアーチェリーもグラウンドゴルフも全くもって何も良い事がなかった彬が、
ホースパークだというのに殆ど馬と戯れずにその余暇を過ごしたが、それはまた別の話である。
金曜夕方にバイトが有るため、昼に帰りの便に乗るだったはずの彬は、まだ空席があった最終便に乗ることになった。
我々の帰りの便はピカチュウジェット、それも金曜の夕方~夜便だ。満席でないわけがない。
調査が押していなかったら、バイトに出るつもりだったろうが、そううまくは行かなかったようだ。
我々一行は、筋肉痛を訴えマッサージを渇望する彬を新千歳空港に残し、何事もなく羽田に帰ってきた。
預け手荷物を受け取りに、帰着ルートを歩いていると、横にいた男が(笑いながら)言う、
「いやー久しぶりの東京ですね」
少し酒の匂いがするその男は、どうやら飛行機に乗る前、新千歳で夕食時に飲んでいたららしい。
やはり研究室に戻ったら、色々と矯正する必要がありそうだ。
M2の某2人との接触時間を減らすのが一番の特効薬だろう。
リムジンバスに揺られ、この一週間で何度となく見た羽田空港を後にする。
普段バスでは寝れないたちだが、ふと気がつくと府中駅に着き、駅から歩いていると日を跨いでいた。
今回の調査ほど波乱万丈だったことはない。記事にできることが多そうだ。
そんな気持ちでスマホを開くと、彬の飛行機が大幅に遅延していることを知った。
どうやら終電を逃したらしく、カラオケに一泊する羽目になったらしい。
試験の神には嫌われたが、笑いの神には好かれているのだろう。
「吉林さん(たち)にお詫びのお土産を買う」と、彬は言っていたが。
まさか、要冷蔵のものは買っていないだろうなと不安になる。
一ヶ月ぶりのように感じる自宅のベットに飛び込む。マットレスが沈み込む。
残念ながら、木の香りはしなかった。